日本工業大学専門職大学院・中小企業イノベーションセンターでは、主要事業の一つとして、修了生等の交流促進支援事業を実施しています。
その一環となるのが、トップリーダー鼎談会です。センターでは2022年から毎年、トップリーダー鼎談会を開催、このほど11月9日(土)、第3回鼎談会を実施しました。
その模様をご紹介いたします。
周知のとおり、中小企業経営者の事業承継は我が国では社会的課題ともなっている。
中でも製造業においては、技術や技能の伝承も含め、ものづくり基盤の弱体化にも繋がることが危惧され、円滑な事業承継が求められています。
第3回鼎談では、事業承継スタイルが異なる三人のMOT修了生社長にご参加いただき、承継の契機や後継者としての課題等につき、お話を伺いました。
株式会社菊池鋼板興業(千葉県印西市) 菊池遼太 社長(MOT12期)
~若くして父が経営する会社に入り社長に
三愛電子工業株式会社(東京都品川区) 寺井一郎 社長(MOT16期)
~大手の商社マンを辞め、後継者として社長に
株式会社ヒラミヤ(神奈川県川崎市) 平宮健美 社長(MOT5期)
~会社のM&Aにより事業継続を選択された社長
司会:日本工業大学専門職大学院・中小企業イノベーションセンター 小田恭市センター長・教授
協力:日本工業大学専門職大学院・マーケティング部 小笠原裕通部長
スタッフ:日本工業大学専門職大学院・修了生 中小企業診断士 中野直哉
小田 本日は事業承継をテーマに、本学修了生の3人の社長さまからお話をお聞きします。
さて、中小企業の場合、事業承継がうまくできずに廃業を迫られるケースが少なからず見受けられます。そういった状況で悩まれている多くの社長さま方に、みなさまからお役に立つような、新しい提案のようなものが出てくればいいのでは、と思っています。また、ご自身の経験から得た、教訓といったものがありましたら、ご紹介をお願いいたします。
では最初は、ご承継のご事情や当時の状況、背景といったものからお願いいたします。
菊池 当社は菊池鋼板興業と申します。本日はよろしくお願いいたします。
当社は、鋼板の切断加工販売、また各種鋼材の加工販売を手掛けています。要は鋼板を切断し、納入する仕事です。父親が38歳のときに立ち上げた会社で、現在、39期目を迎えています。
私はもともとサラリーマンをしていまして、父親の会社を引き継ぐ意向はありませんでした。けれど6年間会社勤めをしたあと、30歳で父親の会社に入社しました。そして私も38歳のときに代表取締役となり、父親の会社を引き継ぎました。現在は40歳です。日本工業大学専門職大学院技術経営研究科では12期の大学院生であり、ちょうど菊池鋼板に戻ってすぐ程度の時期です。小田先生のゼミでした。ここでの学びはその後大変役に立ちました。窮地を救われたといってもいいぐらいです。
小田 それはありがとうございます。今回はよろしくお願いいたします。
小田 では次に、寺井社長、お願いいたします。本来、この鼎談の趣旨が「社長がバトンをつなぐ」、つまり3人の社長のどなたかには、次の鼎談にもご出席いただくかたちであり、寺井社長は昨年の第2回鼎談に続いてのご登板です。
寺井 前回はありがとうございました。今回もよろしくお願いいたします。
さて、前回もお話ししましたが、私も大手の総合商社に約20年勤務していたころ、父親の病気と子供の教育、それに商社の海外駐在員であることが自分の看板であることに疑問を持ったことが、承継の背景にあります。
そこで2004年に米国ニューヨークから帰国したとき、44歳でしたが、そのときに三愛電子工業に移りました。
当社は、鉄道の駅の放送装置の設置や保守管理業務をはじめ、公共交通分野や防災無線などの行政関係が事業のテーマですが、基本的には父が創業時に蒔いた種を育ててきたといったかたちです。加えて越境化戦略と申しましょうか、エレクトロニクスやソフトウェア関連の企業2社や2013年にM&Aを実施した半導体検査企業など加え、グループとしては4社体制となっています。まさに「チーム三愛」という体制を構築しまして、自分は今では事業承継をどうするか、という段階にきています。
小田 ありがとうございました。今回もよろしくお願いいたします。
小田 それでは、平宮社長、お願いいたします。平宮社長も当大学院を修了され、授業でもたびたび自社のケースを検討素材としてご提供いただくなど、ご協力を頂いておりますが、この度、自社を大手企業の傘下とされ、みなし大企業といったかたちになりました。その辺りの経緯など、お話いただける範囲でお願いいたします。
平宮 ありがとうございます。神奈川県川崎市で板金業を手掛けています。今年43期目を迎えています。今回、ご縁があって、M&Aとなりましたが、その辺りの経緯は後でお話できればと思います。
私自身は、高等専門学校を卒業後、父親が創業した会社に入りました。現在で40年余りになります。その間に日工大MOTで学びました。
現状では図面をいただき委託加工というかたちです。顧客の分野は工業製品と建築関係や装飾、デザイナーといったところで、たとえば建築家から依頼がある場合は、3次元の凝った作品に取組むことが多いです。従業員は16名ですが、うち10人はベトナム人です。
今後ですが、事業承継といったことは考えずに、今、やっていることを継続できれば、と思っています。
小田 ありがとうございました。次にもう少し、後継者となることを意識した時期やきっかけといったものを教えていただけますか。
菊池 そうですね。大学を卒業したときに、父親の方では、自社に入るつもりはあるのか、といった気持ちはあったと思います。しかし、父親が自分で事業を立ち上げたように、私も自分で何か、自分なりのことをしたかったのです。そこで不動産分野の企業に入り、本気で仕事に打ち込みました。そこで5年6年経過したころ、29歳のときに独立を考えました。
そんなとき、母親からこんな一言を告げられました……「あんた、一生のうちに一つぐらい、親孝行したら?」と。この言葉は私の胸に響きました。
自分でも、独立して事業を大きくするのも、いま目の前にある会社を引き継いで大きくするのも、選択肢としては同じ次元だと思っていたところだったのですが、まったくそういった論理的な考え方でなく、母親の事業を超えたような一言が響いたのです。
『やるなら徹底的にやろう。』
私はそう考え、「こんなはずじゃなかった」といったことにならないよう、1年間インターンとして入り、菊池鋼板という会社はどんなことをやっていて、どんな人がいるのか、財務はどうなっているのか、いろいろなことを調べ、親しみ、そうして30歳を機に、父親の会社に「転職」したわけです。
小田 そのときお父様はどういった反応をされましたか。
菊池 反応といいますか、私は恥ずかしながら、自分の父親を世の中で一番尊敬しています。怖いぐらいなのです。いつも敬語です。引き継いでからも、どうしたら納得してもらえるかを常に考えています。
寺井 不動産から鉄鋼関連とは異分野への転身ですが、その辺、難しくなかったですか。
菊池 ありませんでした。というのも、不動産関連では法務部に勤務し、契約や規定に関する分野が得意領域でしたが、自社はデジタル化も遅れ、ビジネス関連のソフトウェアも導入されておらず、そういった分野の改善から、制度や仕組みを変えることまで、やるべきことが多々ありました。そのときに前職のノウハウが極めて役に立ったのです。
また、財務面でよかったのは、思っていた以上に利益が出ていたことです。大変なんだろうな、というイメージが先行していましたが、金融機関からの借入も少なかった。
小田 寺井社長はいかがですか。
寺井 私は先ほども申し上げましたように、総合商社で駐在員を務めていましたが、自分の実力で仕事をしているのではない、と常々感じていました。同時に、父親の、自分の事業を継いでほしい、といった気持ちを感じていました。期待を感じていたのです。しかし父親自身には、「継ぐべし」という表立った言動は、まったくありませんでした。私も期待を感じながらも、承継する意思はなかったのです。
小田 では、何が寺井さんのその考えを変えたのですか。
寺井 なかなか難しいのですが、総合商社でも事業立ち上げに関わりましたが、自分が社長として一つの会社を一から立ち上げるのは、それとは、まったく別の話です。
確かに総合商社の看板に忸怩たるものがあっても、子供もある程度大きくなっていて、ここで失敗はできない、と慎重になっていました。それに、父親の会社も順調に事業を伸ばし、社員にも恵まれていましたので、誰かがこれを引き継がずに、無にしてもいいのか、という気持ちがありました。
小田 ご家族にはご相談されましたか。
寺井 承継には大反対でしたね。とくに妻からは、「商社を辞めるなんて……二代目の社長なんて……大丈夫なの?」と心配されました。
でも妻もわかっていました。じつは妻も同じ総合商社の、ある関連企業に勤めていましたから、看板の大きさと実力の相違に相克する、というような心情には、理解があったのです。
小田 寺井さんの奥さまは、寺井さんの職業や会社、肩書ではなく、寺井さんとご結婚されていた、ということですね。世間には逆となる笑い話のようなこともありますから。しかし、有名企業の大きな看板を外して、はたしてやっていけるのか、というのは確かに大きな問題です。
ところで、平宮社長の場合、高等専門学校をご卒業してすぐの入社には、迷いのようなものはありませんでしたか。
平宮 あるとき、父から「継いでくれる気持ちはあるか」という言葉が、何かの会話の中で出てきました。私の返事は、「ないことはないよ」といった程度のものでした。
当時、自社は法人化したばかりで、身内中心に3人で回していました。しかしなかなかうまくいかない状態で、私が入社したときには、父親と自分と、2人だったのです。そんな環境ですから、迷いや、誰かに相談というものはなく、父親と自分だけという状況で、自分は継ぐのだなと何となく感じていたのです。
小田 みなさん、お父さまとの関係について話されましたが、先代社長とギャップが生じるというのは、よくあるケースです。そうした点はいかがですか。こんなことなら継がないほうがよかったとか、そんなことを思われたことはなかったですか。
菊池 私の父親は厳しい人です。生まれてこの方、怒られてばかりいました。入社してからも、衝突しない日はありませんでした。私は認めてもらうには、結果を出すしかないと考えました。入社以来、3年で100本以上の業務提案を行いましたが、怒鳴られ続けました。
当時は従業員も「一人親方」で保険も国保、これは違和感だらけの状態です。私はそういった仕組みを、今の時代に合うように作り変えようとしたのです。しかしそれを跳ね返されて……。
そういった状況が1年以上続きました。そこであるとき、私はアプローチを変えてみました。やはり、父のように、0から1をつくる人のバイタリティにはかなわない。私は父の前で頭を下げました。そしてこう言いました。「あなたと同じやり方では、私は一生、あなたに勝てません。でも、私は引き下がるつもりはありません。自分のやり方で、今の時代を生きていきます」と。その後、あまり怒鳴られなくなりました。
小田 なるほど。すると事業承継には、承継させる方には、ここは必ず承継してもらいたいが、そこは引き継いでくれる側の意向を尊重するといった、両者の相互理解といいますか、コミュニケーションが大事になるということでしょうか。
寺井 私の場合は一切、父からの口出しはなかったです。社員の前で怒られたこともありません。お前ならできるといわれて育ってきました。
父は88歳で他界するまで一切、私の経営に口出しはありませんでした。もともと、子煩悩な父親で、勉強しろ、などということもなかったですね。
平宮 私は父に、20歳で入社したときに、仕事のほかに奉仕活動もやらせてもらいたいと伝えましたね。この経験はのちに役に立つことにもなりますが……仕事は通常通り、言われるがままにやっていましたが、30代40代のころには、今まで20代で自由にやらせてもらえたことの、恩返しをしなければと思い仕事に一生懸命取り組みました。。
ただ、その頃には社員も増えていましたが、自分は営業、父親は現場職人。管理を持ち込もうとすると現場の社員と対立してしまうが、父親がやはり現場の肩を持つ。それがやりにくかったですね。こちらが何を言っても現場の都合が優先されてしまう。そういう状態が20年ぐらい続きました。現場も調子に乗って、私の言うことなど無視する始末です。
父親は私が社長になっても70代ぐらいまで幅を利かせていて、80歳ぐらいまでは現場にも来ていました。私には妹がいますが、妹から「父親の言う通りにさせて」と助言され、それで関係を続けてこられた、という面もあります。
小田 これは重要なポイントですね。社長とどう付き合うかもありますが、従業員とどう付き合うかも、承継者の課題になってきます。社員はだいたい父親の方を向いていますから、後継者は存在感を問われます。後継者にとってはストレスともなりますが、いかにして自分の存在感を高めるかが課題となります。
菊池 自分も現場とはかなり衝突しました。33歳のときに代表権の無い「取締役社長」の肩書となり、意識改革に向けての取り組みを始めたのですが、その途端に衝突し、先輩社員の方々に囲まれて「おまえ、やめろ」とさえ言われたのです。そこで自分も、いったい承継、引き継ぐ、とは何だろうと考えました。
出た答えは、「箱を引き継ぐ」のではなく、「人を引き継ぐ」ということ。これに留意しなければならない。私は承継にあたって、知己や友人等を入れませんでした。そんなことをすれば、昔から頑張っている人の気に障る。これは、10年経ってみて、正解だったと思っています。
寺井 私の場合、社員の方との摩擦めいたものはありませんでしたね。私のことを幼少時からみな、知っていたのです。「あの子が社長になってやってきた」と思っていたようです。そういう社員がいたので、恵まれていましたね。印鑑も渡されていて、M&Aの際にも「おまえがやりたいのなら」と任せてくれました。
小田 ふうむ。私もこれまで3,000社に及ぶ社長さま、経営者の方の、さまざまなケースを見てきましたが、寺井社長のようなケースは少ないですね。
寺井 たぶん、恵まれていて、特殊だったと思います。
菊池 私の父親の場合、怒り狂うと収拾がつかなくなりました。
小田 中小企業の場合、社長がその会社のブランドそのものでもあります。外からみて、社長がどんな性格で、どんな思考かで評価も変わってきます。社長がまさにキーになるのです。
ある時点までサラリーマンとして勤めながらも、責任は組織がとるという面がありました。承継後は全部、自らが責任を負うことになります。社長業は、24時間、いっときも休まることはありません。そこで人生観 はサラリーマン時代から変わりましたか?
寺井 「受容が必要」ということでしょうか。人生観が変化したというと大げさですが、大企業にいると社員数は多いのですが、教育や経験上、打ち出される企画や持てるノウハウなど、似通ってくるかなと思います。
一方で、中小企業の場合、本当にいろいろな人がいますね。そういった多様性を受容するよう、心がけています。許容、ではないのですね。受容です。
小田 AとBを分けるのではなく、AとBの間にあるものを受け入れる、ということもあるのでしょうね。
菊池 寺井さんの言われること、今になってすごくわかります。
自分の場合、変化した感覚では、給料についてです。サラリーマン時代、給料といえば、「もらうもの」でした。ところがいまでは、給料は「払うもの」になりました。その場合、大事なのは「結果」です。利益と言い換えてもいい。利益が出なければ給料は払えない。でも利益が出る経営ができるかどうかは、社長にかかっている。
逆に言えば、社長が利益を出せる経営ができるなら、その結果をもって社員は社長を受け入れ、給料の水準を理解してくれる。私は、「経営者は365日、死ぬまで働くのが当たり前。では、社員の方々は?」というスタンスで、結果を出すことに努めました。自分がひるんでは、社員は従ってくれない。結果が出れば、社員も理解してくれる。最初から、ビジョンとか理念とかいっても結果がなければ難しい。
小田 ところで平宮社長、冒頭でM&Aについては後ほど、ということでしたが、いかがですか。
平宮 一番考えたところなのですが、現状は業況的に悪くないのです。いろいろなところから、何と言いますか、「たなぼた的」に受注できていまして。ただ、長期的な視野では、この先、永続的に仕事ができるか、というところがあり……先行きの予定がないのです。
いま、20代30代の社員が頑張ってくれている。彼らが40代50代になったときに、どれだけ安定的な就業環境を提供できるとかと自問すると、なかなか難しい。そんなことを考えているときに、自動車会社のTier1が私どものような企業を求めているというお話を受けました。やはり、成約とならなくても、自社の価値がどれほどなのか知りたいという気持ちもあり、ご面談もさせていただいたりしました。
小田 なるほど。
平宮 そんな中で、看板を残すよりも、自社の経営の在り方、方針を承継いただけるところ、と思いまして、それを受け入れていただけるところを探していたところ、半年でことが決まってしまったという状況です。
正直なところ、こんなに早く決まるとは思っていませんでした。私どもの立ち位置を理解いただき、自社が大手企業にも認めてもらえたというありがたさを感じています。一番大事なのは、社員がこの先、10年20年の先に安定して仕事ができるか、です。
仲介いただいた事業者にも、ある種の縁を感じます。
小田 逆に、提示額が思ったより低かったら、どうしていましたか。
平宮 金額よりも、認めてもらえたというほうがよかった点ですね。それに、川崎市の方でも企業価値を調査いただきましたが、そんなに大きくずれることはなかったと記憶しております。。
小田 これまではオーナー社長でしたが、これからは、少し言い方に問題はありますが、いわゆる「雇われ社長」になりますが。
平宮 株は譲渡しましたが、私の肩書は変わりません。やりたいこともあります。そのために稟議を上げることは必要になるでしょうけれども。
小田 ふむ。日本のM&A市場では、買い手は多いのですが、売り手が少ない。売る方が強い、という状況かと思います。そういう状況において、日工大MOTの修了生の中にも、自分の会社を売ってしまい、コンサルタントに転身したというケースもあります。その理由は、息子はいるが、承継させて込み入ったマネジメントをさせたくない、という気持ちからでした。今後はそういうケースも増えてくるのでしょうか?
菊池 私はいま、ちょうど40歳ですが、自分の承継について考え始めています。私は100%株を所有しています。子供がいれば、それを引き継がせるのですが、未婚で子供がいません。すると親族のほかに、自社の事業や経営の在り方等に共感していただける、ファンドといった選択肢もありえるかと思います。もちろん、心情的には、未来永劫残していきたいですよ。しかし、意地を張る時代ではないとも思っています。
寺井 データをみると、事業承継で親族に引き継がれるのは3分の1程度のようです。
そうした数字もさることながら、M&Aにおいてもっとも重要なのは、PMI(Post Merger Integration:経営統合後の新会社の企業価値向上に向けた統合プロセス)です。経営統合はもちろん、業務統合、そして意識統合が必要になってきます。
この3つの統合の中では、私は業務統合が比較的重要かと思っています。なぜなら、業務統合がうまくいかなければ、社員の給料の支払いにも影響が及ぶからです。
小田 いろいろと難しい点はありますが、どうです、ご子息に引き継いでいただきたいと思いますか。
菊池 私は、引き継ぐからには、存続が最重要と考えていました。しかし不思議なもので、そうした考えに変化が起きています。以前なら、何が何でも承継させたいと思っていたものですが……時代の流れでしょうか。多様性を重視する考え方もありますし。
寺井 経営で重要なのは、「変化に対応する力」と言われますね。けれど、社長に「変化する力」があるか、これがいまの時代に重要ではないでしょうか。私は、現在、株式の所有と経営の分離といったことも考えています。中小企業ではあまり事例はありません。ただ、いきなり子供たちに任せるのは難しいかな、とも思いますので、ホールディングの下で起業し経営して、これならできる、となれば本体を任せる。しかしどうしても親族内承継で、ということは考えていません。
平宮 可能であれば、どこかが支援をしていただければいいのですが。技術も、技能を持った人間も、職人さんもいなくなってしまうというのは、本当にもったいないことです。
小田 最後に、日工大MOT修了の社長さまはじめ、みなさんにメッセージや要望等があればお願いします。
菊池 いろいろなケースがあると思います。そしていろいろな困難や、それを乗り越えた方法があると思います。私も悩みました。同じように悩んでいる人、迷っているがいるとしたら、自分自身がこうするのだと決断することが重要です。決断は、迷いながらでもできることです。そしてそこで行った決断に、私は、後悔はありませんでした。今できることを、自分で決断する。それが大事だと思います。
平宮 社長は孤独です。側近がいる場合もありますが、いろいろな課題に対し、サポート役が欲しいですね。日工大MOTの修了生や、日工大MOTで登録養成課程を経て中小企業診断士となった方々、あるいは事業承継の専門家、そういった方々のお力をお借りして、続けていきたい。ここまで育った事業、会社がなくなるのはもったいない。
寺井 いろいろなチャレンジをすべきです。ただ、リスクは最大限抑えながら。まずは、やってみることです。
小田 承継は、社長がいかにしてバトンを渡すか、ということが焦点でしたが、だんだんと変化し、現在、社内にある財産、たとえば事業、技術、技能、その他資産といったものをいかに次の世代に渡すか、というふうになったようです。つまり、受け皿としての企業、ということでしょうか。時代は変わったな、と感じます。みなさま方、ありがとうございました。
了
3人の修了生の社長さま、お疲れさま! 第3回となる「社長鼎談シリーズ」も、ますます内容の深いものとなりました。
2023年の休廃業・解散企業数は約5万件(東京商工リサーチ、2023年1月)。代表者年齢は70代以上が4割超、業歴では30~39年が約16%。外部環境の変化に対する事業再構築やビジネスモデル改革の遅れ等が指摘されていますが、やはり事業承継の問題も大きいものと想定されます。ただ、今回の鼎談で、若い活力と情熱が技術や技能、人を受け継ぎ、次代に別の花を咲かせることできるとも感じました。
そのとき、中小企業診断士といった専門家の役割が期待されています。令和4年3月「中小企業の事業承継・引継ぎ支援に向けた中小企業庁と一般社団法人中小企業診断協会の連携について」(中小企業診断協会は、令和6年10月1日に日本中小企業診断士協会連合会に名称変更)でも、PMIや両者の重要性も強調されています。しかしPMI支援の専門家は不足し、承継事情も多様です。中小企業診断士などの専門家の一層の関与や、修了生の中小企業診断士も支援する中小企業イノベーションセンターの取り組みがますます重要になってくるでしょう。
中小企業における事業承継に関する実態調査は多くありますが、それらの共通的傾向は、「事業承継が難しい」とする中小企業の比率が増加する中で、「家族内承継」の比率が低下、「従業員等への承継」や「第三者承継(M&A)」の比率が増大していることである。事業承継の大半を占める「家族内承継」による事業承継が減少傾向にある背景には、当然ながら少子化の影響もあるが、事業承継に関する親と子弟の意識の思いにズレがあるように感じます。
例えば、事業承継する父親サイドから見ると、子供に事業承継してもらいたいが言葉として明確に言い出せない、高度化している経営マネジメントを子供に強いるのはつらいなどといった親心があるようだ。また、事業承継して経営権限を子弟に移管してしまえば、いままで、24時間を会社経営に費やしてきた自分自身の時間が空白になってしまう恐れを感じ、経営者としての引き際に戸惑いを持つ経営者が見られるのも事実です。
一方、事業承継を受ける子供サイドから見ると、親の背中を見て自分は親と同じような苦労はしたくない、親からの事業承継に捕らわれず「やり甲斐」のある職業を選択したい、などの近年の子供ならの思いもあるようです。
こうした父親と子供の思いが錯綜して事業承継へ上手く繋がっていないことも推察されます。少なくとも、父親は子供と真に向かい合って事業承継について語り合うとともに、承継後の新たな生き甲斐を見出すことが求められます。一方、子供は人生100年を前提に、長期的視点から経営者としての人生、サラリーマンとして人生の選択を真剣に考えることも重要のように感じました。
今回の鼎談会に参加頂きました3人の社長は、素晴らしい父親に恵まれていたことも見逃せません。
御参加の皆さま、ありがとうござました。
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